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前世療法体験談

前世療法体験談

前世療法を受けた方から寄せられた感想や体験談をご紹介します。

職場の人間関係が改善しました

H・Sさん (女性 28歳 会社員)

私は、職場の男性上司との関係が悪くて悩んでいました。かといって、同性の同僚の輪にも入れず、孤立。上司と接するたびにイライラし、とうとうストレスでめまいが起こるようになって、前世療法を受けることにしたのです。

私の前世は、江戸時代に生きた「はな」という名前の女性でした。貧しさのため、15歳で町の商家に奉公に出て、一生懸命働きました。30歳のとき、商家からのれん分けをしてもらい、私は小間物屋の女主人になりました。お店でお客さんとおしゃべりをしながら仕事をするのは楽しく、使用人を雇ってチャキチャキとお店を切り盛りしていました。50歳のときに、使用人の男性と結婚。子どもには恵まれなかったものの、夫婦2人でお店を営み、幸せのうちに89歳で亡くなります。

亡くなった後、中間生に上がって、「はな」に89年の人生をどう思うかたずねたところ、「私は、お客さんに親切にしたことで周囲の人に恵まれた。いつも笑顔でチャキチャキと接客していた。生まれ変わっても、同じ人生を歩みたい」という答えが返ってきました。

セラピストが「はな」に私の悩みを説明し、アドバイスを求めました。 すると、「周りの人とよくおしゃべりをして、ニコニコ笑いなさい。いろんな人とよくおしゃべりをしてもらいたい。今のあなたには笑いがなく、寂しそうに見 える。人づきあいが苦手なのは、小さいときから周りを気にし過ぎて、人に話しかける勇気が足りなくなっているからだ。あまり気にせず、自分から声をかけていくといい」と言われました。

「超意識」からのアドバイスは、「あまり悩まずに、気軽に人に話しかけてみたらいい。上司との関係も深刻に考えすぎないで、イライラしたときは会社の女の子たちと話して気を紛らわせて。腹立たしい思いをしながら働くのはよくない。こだわりを捨てて、勇気を持って周囲に話しかけ、楽しく暮らしてほしい」というものでした。

前世療法を受けた後は、会社の女の子たちに積極的に話しかけ、おしゃべりを楽しめるようになりました。私は、「はな」の気質を受け継いでいるはずだから、おしゃべりができるはずだと思えたのです。あれほど悩んでいた上司との関係も、まったくと言っていいほど深刻に考えないようになりました。前世を見ても、私と上司の間には特別な因縁はなかったの で、こだわっていたことが馬鹿らしくなったのです。前世療法を受けたことで、他人に頼らずとも答は自分の中にあることがわかり、もう何があっても大丈夫だと思えるようになりました。

夫への愛情が深まりました

F・Eさん(女性 33歳 専業主婦)

私は、夫と子育ての考え方や生活の価値観が違うことに悩んでいました。 愛情も冷めて寝室も別になり、離婚して娘と二人で暮らそうと考えたりもしました。夫と一緒に生きていく理由があるのかどうか知りたくて、前世療法を受けてみることにしたんです。

「ご主人と関係の深い、前世に行ってみましょう」と導かれて扉を開けると、そこは200年前の日本の小さな海辺の集落でした。
私の名前はチヨ。家族で漁をして生活していましたが、父は漁で事故に合い、帰らぬ人となりました。その後、母親や兄弟とも生き別れてしまったようです。25歳のとき、漁師の五平さんと出会い、将来を約束した恋人同士になりました。 ところが、彼も漁で事故にあったようで、戻らなくなりました。私は、彼が戻る事を信じて、何年も何年も、海を見ながら待ち続けていましたが、最後まで彼は 戻らず、私は一人寂しく60歳で亡くなりました。

中間生に上がって、「あなたの人生で残念だったことはありますか」と、セラピストがチヨに聞くと「生まれ変わったら、家族が欲しい」と懇願されました。続いてハイヤーセルフが現れ「現在の夫が前世の五平さんだ」と言いました。すると、沖のほうから古い木船がやってきて、乗っていた五平さんの顔が、夫の顔とピタリと重なるではありませんか。「五平さんだ!」チヨになりきっていた私は、35年間も待ち続けていた人にやっと会えた喜びで、号泣してしまいました。

ハイヤーセルフは「五平さんは、現世であなたのところに戻ってきて、やっと一緒になることができたのだ。前世では孤独を我慢して生きていたのだから、現世では家族を大切にしなくてはいけない」とメッセージをくれました。チヨに比べて、今の私はとても幸せだと思いました。幸せだからこそ周りが見えなくなって、わがままばかり言っている自分に気づいたのです。夫がソウルメイトだったとわかり、とても愛おしく思えるようになりました。前世は私に、平凡な人生のようでも、家庭を守っていくことはとても大切なことだと教えてくれました。

愛犬の病気の看病によるストレスから解放されました

N・Yさん(女性 51歳 パート)

私の悩みは愛犬のことでした。不妊治療中に飼い始めたこともあり、我が子のように愛しみ、13年間、寄り添いながら生きてきました。その犬が4年前から体調を崩し、病院に通っても、投薬を繰り返しても、症状は悪化するばかり。言葉が通じないだけに、苦しむ様子を見るのはつらく、「いっそ死なせてあげたほうが…」と思ったりもしました。そして、「この子がこんな目にあうのは、私が前世で動物に残忍なことをした報いではないか」と自分を責めるようになりました。
なんとか解決策を見つけたいと、前世療法を受けることにしました。

前世での私は、ドイツに住む裕福な男性でした。大きなお屋敷に広い庭、部屋にはグランドピアノが置いてありましたが、実は両親からの愛情を受けた記憶がありません。小さい頃から使用人が運んでくれた食事を一人で食べ、金銭目当ての友だちしかいない、孤独な人生でした。
いつしか家に閉じこもるようになり、45歳で生涯を終えるとき、周りに親類も友人もおらず、窓にとまっている白い小鳥だけが私を看取ってくれました。その小鳥は、私が中間生に上がるときにも、ずっと後を付いてきてくれました。

ところが、中間生に上がって小鳥を見た瞬間、「タローちゃんだ!」。私は、愛犬の名前を叫んで、わーわーと泣き出してしまいました。愛犬はソウルメイトで、前世の小鳥の魂が、私が現世でも孤独な人生を歩んでいるのではないかと心配して、犬に姿を変えて会いにきてくれていたことがわかったのです。そんな切ない絆があったなんて、想像もしていませんでした。超意識さんからも、次のようなアドバイスをいただきました。
「あなたの犬は、前世であなたを看取ってくれました。今度は、あなたが看取る番なので、最期まで悔いのないように看病してあげなさい」。

それ以来、愛犬がさらに愛おしくなり「最期まで穏やかに寄り添って生きていこう」と思って看病を続けられるようになりました。前世療法を受けていなかったら、今も、苦しみから抜け出せずにいたと思います。

前世の体験が大きな気付きと改善を与えてくれた

S.Yさん(男性 40歳 鍼灸師)

ある時、私は薄茶色の布でできた膝上までの服を首からかぶり、腰にベルトをして裸足で乾いた土の道を歩いていた。父に頼まれ、軽そうな石で出来た大きな屋敷の主人に薬を届けに行くところである。屋敷に着くと奥の部屋にとおされ、主人が笑顔で待っており薬を渡し一言ことばをかわし私は帰ってくる。物心ついた頃から私は父に頼まれて、この屋敷に何度となく同じ薬を届けに行っていた。父にはこの屋敷の御主人が病気だからだと聞いていたが、いつも主人に手渡す薬が必要だとは思えぬほど元気そうであったのが不思議であった。

私は薬を作っている父、母そして兄と姉がおり、幼少のころからも兄弟で遊んでとても仲が良かった。兄も私も父のもと薬の勉強をし、姉は町外れのぶどう畑の家に嫁いでいった。私が22歳の頃、流行り病により多くの人たちが亡くなり父と兄も犠牲者となった。私は母と二人暮らしになり、やがて母も旅立った。私は薬の勉強を数人の者に教え年老いていき、この弟子たちに看取られ死んだ。

そして、この人生を振り返ると、なぜ幾度となく大きな屋敷の主人に薬を届けに行かなくてはならなかったのかがわかった。私の本当の父は、この大きな屋敷の主人であったのだ。何かの事情により薬屋に育てられ、我が子と時折薬を口実に会い、一言だけ言葉をかわす父の気持、実の子でもないのに、本当の家族として生涯そだててくれた両親、兄弟の温かさ。そして私を看取ってくれた弟子たちの温かさを体験した。

またある時は、紫地に刺繍をほどこした袴のような物に黄色っぽい上着をまとい、布を貼ってある靴のようなはき物を履いて石畳を歩いていた。私に後ろには数十人が列をなしている。どうも私は何か祈りをささげる仕事をしているようであった。父が亡くなり、その後わたしが受け継いでいた。やがて、政治の影響で今まで守られていた立場も広い宮も出ていく事になり、別の少し小さい宮に私の後ろに列をなしていた人たちと一緒に移り住み、晩年その人たちに見守られながら静かに息をひきとった。
ここで、またも親族でもない者に私の人生を見送られたのだ。そして他人の優しさや温かさを感じたのであった。

私が体験し感じた過去世が実在したのか それとも私の勝手気ままな想像だったのか…。これは現在の科学では証明することが出来ないであろう。しかし、ずっと以前に現実にあった事か、または想像の物語なのかが重要なのではない。

この療法により、そこで起きたことを感じ今の自分に、そしてこれからの自分に気づきやメッセージをもたらした。この前世療法は占いやオカルトチックなものではないことを知ってもらいたい。きっと、何かにつまずき、自分自身がわからなくなってしまっている方や、何かに悩み自信を失ってしまっている人には、この前世を体験し感じることにより大きな気づきと改善をもたらすきっかけになるであろう。

また、精神的疾患が政府でも取り上げられる昨今、心の健康が様々な事柄に関係する。催眠療法は人生の豊かさを手にする力となることだろう。医療の分野においても、患者にとってこの療法が一筋の光になってもらえるのではないかと、願ってはやまない。

自分の人生に自信を持てるようになりました

T.Kさん(女性 30代)

私の家系は代々神道の仕事をしています。なぜこの家に産まれてきたのか?私が癒しの仕事に就きたいと思っている理由はなにか。今世に関わりの深い前世を知りたくて前世療法を受けました。心配性で、自分の決めた事に自信が持てないのが悩みでした。

前世の私は武家屋敷の奥さんでした、武士である夫を戦で亡くしました。夫を亡くして悲しくショックで過ごす毎日。子供が産めていたならこの悲しみも和らいでいたとはずと考えていました。1人で暮らしていく寂しさ、生きがいが見つけたくて、お寺に得度をしにいきました。そこで尼になる事を決意しました。それからは長い修行の日々をへて、村の人々にお説法、心のよりどころにまでなるようになりました。人々を救うことができること、それが喜びでした、すべての人々が家族のような存在に思えました。そして晩年、老衰でお弟子さんや人々に看取られて安らかに天に召されました。

夫に先立たれたのは悲しかったが、尼になり人の助けること人々の役に立つことができて嬉しかった。そして今世でも人々を癒すために神道の家系を選んで生まれ変わってきた。また、今世も人々の役に立てように生きてほしい。と前世からのメッセージを頂きました。ハイヤーセルフは「考えすぎや心配症は気にせず自分に自信を持ちなさい。今後はやるべきこと手段は自分自身がしっている。信じて進みなさい。ハイヤーセルフと私はいつでも直感で通じているから安心しなさい。」アドバイスをうけて歩もうとしている道に自信をもち確信が持てました。温かくて幸せな気持ち、私は包まれていて守られていると実感しました。初めてのハイヤーセルフからのメッセージにとても感動しました。いまは取り越し苦労をしなくなりました。

ギクシャクしていた親子関係が改善しました

Sさん(30代 女性)

両親との不仲、両親が現在のストレスになっている。親との縁を知り自分のネガティブな思考を解消したい。

アメリカ人・150年前の人・男性。裕福な家庭に生まれるが淋しい愛情のない両親のもとに生まれる。経済的には恵まれているが父は不在がち、母は父の愛人であったので一緒に暮らせなかった。一人っ子で淋しい幼年期を過ごす、いつも家庭教師と一緒で父は勉強にきびしかった。15歳でガールフレンドと知り合い20歳で結婚する。25歳で子供を授かり仕事は弁護士の仕事をしている。事業も大きく、人も大勢雇っていた。仕事のパートナーにも恵まれ、順調に会社の営みは出来ていたが他にも事業を持つ。ウインナーソーセージの燻製工場を持つ事で以前にない充実感を得る。72歳で老衰で亡くなる。

家族の愛を感じずに育ったため、親から愛されたいという欲求が強く残っている。仕事は実力と共に経済に恵まれ家族(息子・孫)もつくる事は出来たが親から愛されたい気持ちは強かった。前世での母は現在の母。現在過干渉なほど自分に対する思いが自分にとってはストレスになっている理由が分った。母は自分を育てられなかった為、今度は親子としてのやりなおしをこの人生ではあるが、お互い接し方がわからずギクシャクしていることに気づく。今世では家族愛を学ぶ為生まれてきたことを知り親とのコミュニケーションをどのようにしたらよいかアドバイスをもらう。母の罪悪感があるために必要以上に育てようという気持ちが表れていたからだった。親を受け入れてようと思うことが出来た。

家族への愛情を再確認できました

M.Kさん(女性)

セッションを受けた目的は、今の家族との関係を知りたかったからです。セラピストの方は、「今の私が見るべき過去世」へと誘導してくれました。

過去世に入ってぼんやりと見えてきたのは、森の奥にある大きなお屋敷。二階に上っていくと三方が大きな窓に囲まれた部屋へ。窓辺に佇み、外を見ている女主。後悔と言い知れぬ悲しみが彼女から伝わってきます。彼女が見つめている先にあるのは、屋敷の裏手にある森と、その森に囲まれた小さな湖。
そして、突然、その湖に沈んでいく女の子の映像が鮮明に見えてきました。逆さになって沈んでいく彼女のブロンドの巻き毛がゆらゆらと水の中でゆれています。緑色のドレス、胸元は白いレース。
年齢は19歳位でしょうか。私の意識がその女主人と重なります。娘を亡くした悲しみと後悔。娘は事故で亡くなったようです。

もっと生きていて欲しかった、もっと、もっと愛したかった・・・。彼女は何度も何度もその窓辺に立って事故のことを思い出し、悲しみにくれているのでした。
その時です。頭上、右上のほうから「また、生まれてくるよ」とささやくような娘の声が聞こえてきたのです。

「えっ?」と思った瞬間、今度は左上に(今の)息子の顔が現れたのです。思わず、「○○(息子の名前)、あなたなの?」と呼びかける私。そして、「そうだよ、ママ、僕だよ」というはっきりとした息子の声が・・・。不思議なことに、息子がその娘の生まれ変わりであることを私は一瞬の内に理解したのです。あの愛しい娘が今、再び私の息子となって生まれ変わってきてくれている、そう思うと 私は胸が一杯になって涙が止まらなくなりました。

セッションを受けてから一番変わったのは、「息子への想い」です。
思春期の息子とはぶつかることも多く、本気で腹の立つことも度々でしたが、今は、どんなにぶつかっても、どんなに反抗されてもすぐに心の奥から「愛しさ」が湧き出てきます。
言葉ではうまく表現できないのですが、愛情の質が変わった、とでもいうのでしょうか・・・。

その後、前世を何度か見る機会があり、息子とは夫婦だったり、恋人同士であったり、父と息子だったり、と何度も一緒に生まれ変わってきているのがわかりました。そして現在飼っている犬もそのたびに(異なる犬種ですが)一緒でした。 息子もワンちゃんも縁あって、またこうして一緒に暮らしているのだということがわかってからは、息子の顔をみても、ワンちゃんの顔をみても「愛しくて、愛 しくて」しようがないのです。
そしてなんと幸せなことだろう、この日々を大事にしたい、そう思って過ごすようになりました。

自分に足りないものに気づくことができました

S.Kさん(女性 30代 主婦)

私は夫との性格の不一致に悩んでいます。価値観があわず心が離れているように思え人生がつらく感じます。前世での夫との関係(ソウルメイト)や悩みを解決するヒントを得たく前世療法を受けました。

300年前のイギリスで女性として生を受けました。名前はビクトリア。
父は教会の神父でした。口数の少ない厳格な人で、尊敬はしていましたが少し遠い存在に思えていました。母はわたしの気持ちをいつも理解してくれ、いつも優しく溢れんばかりの愛情でわたしを包みこんでくれます。そして母は私が10歳の時「ごめんね・・・」と言い残し病で亡くなりました。孤独な寂しさを感じていた15歳のころ、唯一の安らぎの場所は教会の祭壇の前、穏やかで静かな気持ちになりこの場に居続けたいと思う日々。

20歳のとき教会の仕事を手伝いながら、1人で暮らす老人のお世話をするボランティアを教会員の女性たちと始めました。初めて自分の場所を見つけた思いがし、充実した日々を過ごしました。
23歳の時、父親が決めた相手(今世での夫・ソウルメイト)と結婚しました。 夫の家系は有力者でお金持ち、教会にはお金が必要だったのです。生きがいを感じていた今の生活から離れ、見も知らぬ相手と結婚することになり、諦めと絶望の中に放り込まれました。夫は優しい人ですが父親の言いなりで心が通わず遠い存在。わたしの結婚生活は家のしきたりにがんじがらめで、自由のなさに自暴自棄になり、陰鬱な日々を送っていました。晩年まで生活に変化はなく虚しい日々、相変わらずの夫。わたしは町の人々の中で、彼らの役に立ちながら働きたかった。
ですが願いは叶いませんでした。48歳のとき亡くなりました。身体の痛みより心の苦しみがつらい。自分の意思の外にある人生に生きがいを見いだせず、結婚後誰にも心を開くことなく過ごした虚しい人生がやっと終わる。人生の終わりに安堵感もありました。

中間世でビクトリア・超意識・ハイヤーセルフからのアドバイス、理想にこだわり過ぎて大切なことが見えなくなっていた。物事、願望の本質を見据えていれば、どんな環境の中でも出来る事はあったはずだ。「町の人々や困っている人のお世話をしたかった」と思っていたが、その願望の本質は「自分が何かをすることで誰かに喜んでほしかった」ということであった。それはどこにいてもできること。対象や環境を限定する必要はなかったはずだ。形・理想にとらわれてはいけない。形・理想にとらわれると本質が見えなくなる。現在の夫との関係も同じ。理想の形ではなくても、二人の形というものがある。夫として意識する前に人として大事に関わっていくこと。互いに尊重し合いなさい、お互いに甘えがあるので、もっと精神的に自立し大切にできる距離を取 りなさい。そうすることで一緒に出来ること、大切なことがわかるだろう。何においても大切な事は形にとらわれず本質をちゃんと見据えること。

ビクトリアの完璧主義的な感覚は、私にとても通じるものがありました。「こうでなければならない」「こうあるべき」という形にそぐわないと、全面的に失望してしまう悪い癖です。その様子を主観・客観両面から見つめることで、自分に欠けているものを痛感しました。理想や形、うわべのものにばかり気を取られていると、大切なことを見過ごし見失い、無駄に失望してしまう。何事においても、物事や願望の深層に潜むその本質を見据えつつ、ぶれることなく生きていきたいと思いました。

興味本位から人生観が変わりました

Fさん(男性 30代 会社員)

私はこれといって精神的に不安定であるとか、悩みがあるとかではなく、ただ興味本位で前世療法を受けました。私は死後の世界とか全く信じていませんでしたし、自分では精神的にも強いと思っていたので、催眠にもかかるはずはないと思っていました。はっきりいって、こういうヒーリングとかいう類のものが流行っているので、実際の所どんなことをするのか、インチキでは無いのか、見極めたいと思って行きました。(セラピ ストには申し訳なかったと思います)

しかし、実際には簡単に催眠状態に入ってしまい、すごく気分が良くて当初の目的などすっかり忘れてしゃべりまくってしまいました。催眠状態で自分が話していることは、自分にも聞こえているのですが、全く見に覚えのないことばかりで、本当に不思議でした。

私の前世がどんなだったかは、あまりにも突飛なのでお話しするのが恥ずかしいので省略しますが、今の私はなぜか自分の親が余り好きではなく、別に幼い頃なにか問題があったとか、トラウマがあるとかでもなく、親も別段変わっているとか厳しいとかではない普通の親なのになぜか理由もなくそうだったのですが、その原因が前世にあったことがわかりました。私の親(父)は前世でも私と関わっていて、しかも激しく対立していたようです。

ともかくこの経験のお陰で私の人生観は少し変わりました。前世の話は親にはしていませんが、何となく以前より父のことが理解できるようになったような気がします。最近、何かのテレビ番組で、現世で自分と深く関わっている人間とは前世でも何かしら繋がりがあるといった内容のものを見て、妙に納得してしまいました。そう考えると、自分の回りの人間を見て、色々想像してみるのも楽しいかもしれませんね。

家族との強いつながりを知ることができました

Mさん(女性 40代 主婦)

家族との絆(ソウルメイト)が知りたくて前世療法をうけました。

暑い日、下駄で着物を着ている。昼間はどうってことのない木造の家々・・・夜のなると、とってもきらびやかな場所になる。人々が沢山行きかっている。その家は中が見えるようになっている。中には沢山の女性が座っている。
子供時代(6~7歳)貧しい暮らし。父は酒飲みで働かないので母が1人で畑を耕して暮らしている。小さな妹、弟がいる。父は酒の飲み過ぎで亡くなる。家族の為に吉原に行く事になる。洗濯、掃除、食事の支度、花魁方のお世話をしながらの生活。毎日がとてもつらく、家族に会いたい。でも、自分がここにいれば家族が幸せになれると思ったら我慢できた。
12歳の頃、かむろとして花魁についてまわり、ここの全てを知る。
14歳の頃はじめて仕事をすることになり、沢山のお客さんがついて花魁となる。とても、淋しく自分についているかむろだけが家族のように感じた。昼間一緒にカキ氷を食べに外に出るのだけが幸せだった。
28歳の頃、身請けの話がまいこむがかむろを置いて行くことがとても淋しくて悲しかった。お金持ちの老人でとても優しく、大事にしてくれるのでこれ以上の話は無い。しかし、かむろが気になる・・・。すると、老人はかむろも一緒に引き取ってくれ、一緒に暮らせる事になった。

それからは、静かな幸せな日々が続いて38歳の病気で亡くなるまで幸せだった。上にあがっていく自分はとても満ち足りた気分だった。しかし、残してきた家族が気になっている。超意識さんは自分ばかりが不幸だと思わないように家族の絆をもう一度、確かめるようにする為に今ここに家族を置いたのだと教えてくれました。老人は主人(現世の夫)、かむろは娘です。それによって、いつでも主人に守られて今も大事にしてくれている思いがわかった。娘との繋がりの強さもより感じられるようになりました。この家族は何があっても変わらない愛があると感じる事ができました。

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